逆算のきっかけ
人生の逆算とは残りの人生の長さを意識して、今、あるいは数年後に何をしたらいいかと考えることだろう。いつ死ぬか、いくつまで生きるかなんてわからないのだからそんなことを考えてもしようがないともいえる。若いときはたいがい前に進むことしか頭にないからそんなこと考えもしない。それが、あるときふとこころの中に浮かんできた。
父親の死が一つのきっかけだったが、自分も父親のように早く死ぬかもしれないと思ったからではない。父親がサラリーマンを辞めて知人と始めた小さな商売をどうするかということと、自分自身の仕事の行き詰まりが重なって、会社を辞めてその仕事を継ぐかどうかを迷ったことが大きかった。
仕事の行き詰まり
当時40歳。その2〜3年前くらいから会社で自分の居場所が狭くなっていくような感覚があった。会社の成長や事業の広がりが急激で、求められるものが変わっていった。企画力に優れ、推進力の高い若手がどんどん現れ活躍し始めた。自分も一定の評価でそれなりのポジションにいたが、そうした能力のある同期や若手が昇進していくのを見て、人間関係重視の調整型の私は追い詰められていくような感覚を持ってしまった。
実は父が発病する前に、そうした自分の気持ちを吐露したことがある。思春期以前から父に内心抵抗したきた自分としては情けない気持ちもあったが、父はそれを聞いて、辛かったら故郷に帰ってきて自分の仕事を継げば良いということを言ってくれた。少し安心した。そのことも頭に残っていて、父の死をきっかけにどうするか悩んだ。父が始めたものを息子として手放していいのかという、それまでは思いもしなかった気持ちにもなった。
こころの中の漂流が始まった
しかし結局あとは継がなかった。父が遺したものを守る気もち、母や祖母を守る気持ち、自分の仕事の状況からの逃げ。それだけが動機で、やりたいことかどうかという視点はなかった。妻や子どもたちを引きまとめて新しい生活を築くなどといった覚悟は全くなかった。自分の家族と実家との二重生活が成り立つかどうか、経済的に成り立つかどうか、そんなことばかり考え、決断がつかないまま疲れ果てた。結局、父の仕事は自分がやりたいことではないのだと馬鹿みたいな単純なことに気づき、あとを継ぐのはやめた。会社にも残った。
会社に残ることにはしたものの、感じていた行き詰まりをどう打破するのか、サラリーマンという状況から逃げ出したいと芽生えてしまった気持ちをどう処理するのか、会社を辞めて何か選択肢はあるのか、そういう悩みはどんどんはっきりしてきて、心のなかで漂流が始まった。
キャリアの時間軸を引いていた
そのとき同時に浮かんできたのが人生の逆算的な思考だった。
いくつまで生きるのだろう、あと3〜40年生きるとしたらいつまでサラリーマンを続けるのだろう、その先何をしたいのだろう、どんな暮らしをしたいのだろう。
子どもの年齢を考えて、あと何年サラリーマンとして我慢するのか、そのとき金はどうだったらいいのか、どうやって蓄財するのか、辞めて何で稼ぐのか、いくら稼げばいいのか。
いつのまにか、誰に教わったのでもないが、キャリアデザインでよくやる時間軸を置いたプラニングシートのようなものを自分で作って思考を巡らせていた。
何度かそうした思考実験(?)を繰り返した。集中してやったわけではない。仕事をしながら、気持ちが乗らないときに家で自分のmental hygieneのためにやっていた。ただ、そのうちにサラリーマンはあと10年くらいという数字が見えてきた。50を過ぎたら別の自分でいたいという気持ちが見えてきた。
しかし、そうした作業をするにつけ、50過ぎて何をしていたいのか、どんな自分でいたいのかという自問が繰り返され、ブラックボックスになっていった。
こころの中の一方でプラニング作業をし、一方でドリフトするという感覚が続いた。