父親が亡くなった歳
今年で68歳になりました。父が亡くなった歳と同じになりました。
父は28年前、私が40歳のときに食道ガンを患い、入院わずか半年あまりでこの世を去りました。
それは、サラリーマンの私が自分のキャリアに悩み始め、子どもの時から持っていた父への距離感が近づく方向に変化し始めたときのことでした。
あのとき会社を辞めようかと思った
そのころ仕事に行き詰まりのようなものを感じていました。父が亡くなったあとの実家のこと、母親や祖母のことも長男として気になっていました。会社を辞め、実家に帰って父のやっていた商売を継ぐことを真剣に考えました。
しかし、私の家族は東京で、妻も仕事を持ち、子どもたちは小さく、私も含めみな東京に生活がありました。両立は無理でした。
なにより、実家に帰るというのは仕事上の困難、キャリアの迷いからの逃げというのがホンネでした。会社を辞める選択は所詮とれない話でした。
10年ごとに転機があった
その後、結局50歳までサラリーマンを続けました。しかし、今度こそ本当に行き詰まってしまった。サラリーマンという働き方を続けるのが耐えられなくなっていました(ただ、あとから思えば実は幸せなサラリーマン生活だったとも思うこのごろですが)。
退職と同時に、勤務先に関連した仕事を縁あって業務委託者としてすることになりました。仕事はガラッと変わりましたが、フリーランス的な働き方に自由を感じ、サラリーマン時代の人とのつながりも全く切れたわけではなかったので非常にハッピーでした。生き返った感じでした。
その仕事は10年間続けました。自分の経験からすればなんとかものにできる、向いていている面も大きい仕事だと思って続けました。しかし、向いていると思った面のその真裏に自分にとって最も苦しい、克服困難な落とし穴、自分の弱さがありました。自分へのウソがありました。結局、そのことと向き合い続けた10年となりました。
これからどう生きるのだろう
60歳になって、思う所あり大学院に進学しました。子どもも就職しそれまでの教育費が浮きました。本来は老後の備えにまわるべき資金でしたが、妻に相談して2年間使わせてもらうことにしました。
学んだことを活かす形で仕事も変えました。しかし、今は仕事だけではない生活で、仕事以外の時間が多くなっています。大学院に行ったのも、60歳以降の人生をどう生きるのか考えたい、ヒントをつかみたいという気持ちが根底にありました。それなりに得るものがあって今のライフスタイルとなっていますが、このライフに手応えを感じています。
しかし、このまま流れていってはいけないんじゃないか。日々の生活をもっと大切にというか、しみじみ味わうというか、こころの中でチャレンジしつづけるというか。そんな気持ちが湧いてきます。何歳まで生きるかわかりません。父親のようにすぐガンで死んでしまうかもしれないし、想定外に(?)長生きしてしまうかもしれない。
どちらでもいい。ただ、いまのこの日々の連なりに自分の人生の意味を構築していきたいと思うのです。
父親の人生を超える時間に入ってそんな気持ちが強くなりました。
人生日記をつけてみよう
さて、それでどうする?どうやってその思いを実現する?
いろいろ考え、やりたいこともいくつかピックアップした中で、ふと日記をつけてみようと思いいたりました。こころが動かされた出来事を見つめてみよう、過去を振り返って今とのつながりを思ってみよう、今と未来をつなげて考えてみようと。
三日坊主の私にとって、日記は難行です。小中学校時代の苦い思い出もあります。このサイトもおそまつなものになるでしょう。多分、日記というより月記、マンスリーレポートくらいになればいいというところでしょうか。
自分以外に誰に向かって書くのか、ブログにする意味も明確ではありません。
しかし、もし続けることができたら自分にとって何か意味あるものになるのではないかという気がします。
そんな自分への期待を込めて。
タイトルは「いききり日記」
サブタイトルは「〜アラ古稀あれこれ〜」